ゴー宣DOJO

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切通理作
2011.3.7 00:25

「世代間の分断」は歴史性の否定

大卒者が高望みしているからではなく、
大卒者がホワイトカラーの領域以外の
場所にも職を求めざるを得なくなってきたからこそ
高卒者の職場を奪う結果になっている場合もある。

・・・・・・若者の就職難について、門弟である会社員の方から教えてもらいました。

この証言からは、高卒で就職しようとしたり、
あるいは大卒でもブルーカラーの職に就こうとする、
地道で働く気概のある若者達すら、
多くを門前払いをせざるを得ない状況が見えます。

若者に気概がないと抽象的な批判を繰り返すばかりでは、
「即戦力」ばかりを求め、
本来経験もなく、右も左も分からなくて当然の新卒者
「育てる必要がない」という社会のあり方に
味方するだけでしょう。

まさに、自分がどうやって育ってきたのかを
忘れてしまったのかのごとき物言いは
「歴史性の否定」です。

働く現場では、いずれは自分も後輩への教育をしなければならず、
そして後輩に仕事を引継がなければならないという、
「担う意識」の相互関係として育まれてきた
歴史があると思います。

世代間で分断され、想像力すらも持てない
社会は、つまり「歴史性を否定した社会」です。

はじめから完成したパッケージのような
「労働力」を求めるということ自体、
コンビニで出来上がった商品を買うようなものでしょう。

このままでは企業の側にも歴史性がなくなってしまう。
これから社会に出て(入って)いこうとしている若者たちに
一方的に責任を負わせていい問題のはずがありません。

ゴー宣道場に集う人たちは小学生から90代までと
世代が多様で、小林よしのりさん自身も毎回驚いています。

靖国神社で行われた時には、先の戦争を考える集いをやっても、
他では高齢者ばかりなのに、参加者が若くてうらやましいと言う参加者がいました。

同じ世代ばかりを相手にしていると、その層に合った意見しか出せなくなる。

先人たちに敬意を払うのは、その歴史性に対してであって、
「俺の世代は頑張ってきた」というような
自閉的なノスタルジーの中で硬直してしまってはならない。

そういう意識ゆえ、ゴー宣道場は刺激的なのであり、
一歩前に出て広い世代に訴えかけることを
私自身も肝に銘じていければと思います。

切通理作

昭和39年、東京都生まれ。和光大学卒業。文化批評、エッセイを主に手がける。
『宮崎駿の<世界>』(ちくま新書)で第24回サントリー学芸賞受賞。著書に『サンタ服を着た女の子ーときめきクリスマス論』(白水社)、『失恋論』(角川学芸出版)、『山田洋次の<世界>』(ちくま新著)、『ポップカルチャー 若者の世紀』(廣済堂出版)、『特撮黙示録』(太田出版)、『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)、『地球はウルトラマンの星』(ソニー・マガジンズ)、『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)、『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』(宝島社)、『本多猪四郎 無冠の巨匠』『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社)など。

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